|
華厳寺の塔 画像の左側に映っているのが澄観の「妙覚塔」、右側に映っているのが杜順の「無垢浄光宝塔」。 |
東側の塔は中国華厳宗初祖とされる帝心尊者杜順の塔である。 方形七層、高さ13メートル。上層部に「厳主」の二字、第三層には「無垢浄光宝塔」の六字が刻られている。最下層は龕堂になっており、その中には石刻の像と像賛があり、石の下半部には清末の宋伯魯・宋聯奎等の書にかかる重修記が刻られている。また、大中六年(852)に刻られた『杜順和尚行記碑』が有ったが、現在は西安碑林博物館に収蔵されている。拓本の写真が『中国文化史蹟9陝西』(法蔵)に載録されており、内容を見ることができる。 |
杜順の「無垢浄光宝塔」 |
|
西側の塔は中国華厳宗第四祖とされる清凉国師澄観の塔で、六角五層。高さ12.52メートル。塔上には「大塔清涼国師妙覚塔之塔」の十字が石刻されている。妙覚塔は西南に傾斜して塔身が崩れたため、1984-1986年にかけて解体し、少し北側に移築し組み立て直された。その際に、塔基の須彌座と、地下から石函が出土し、その中から淡黄色の浄瓶一つ、内装に五色石、水晶の舎利が発見されたほか、塔身の第三層からは明代の金銅製菩薩像一体が発見されている。 | 澄観の「妙覚塔」 |
|
元代に修復された時の碑文である『清涼国師妙覚塔記』は、結城令聞旧蔵の拓本の写真が『中国文化史蹟9陝西』(法蔵)に載せられており、冒頭から第三三行途中までの釈文が鎌田茂雄『中國華厳思想史の研究』(東京、東京大学出版会、1965年3月)pp.157-158に、それ以降の翻刻と書き下しが竺沙雅章『宋元仏教文化史研究』(汲古書院)pp.177-179になされている。この『妙覚塔記』は、裴休が撰した『妙覚塔記』を参照したものだが、元代の普瑞が『華厳懸談会玄記』巻第一で引用する裴休撰の『妙覚塔記』には無い記述が含まれている。 また、妙覚塔の前には、次の如き識語が彫られた石碑が建っている。 | 雍正十二年九月二十九日春/ | 旨清涼觀着封妙正眞乘禅師欽此/ | 西安府知府烏靈阿咸寧縣知縣陳齊賢奉文致祭勒石/ 雍正十二年は清代で西暦1734年。この石碑は、上部に清代のものと思われる額石が乗せられているが、碑文自体は上部と下部が欠けている。 |
妙覚塔の前の石碑 |
華厳寺本堂 永らく廃れていたが、最近になってようやく復興に着手されはじめた。 |
||
華厳寺住持の 明圓法師と共に 突然調査に訪れた小生を快く迎え、華厳寺復興の経緯などを長時間に渉り説明してくださった。心より感謝申し上げたい。 |