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龍門石窟の中でも最大規模を誇る奉先寺洞 | ||
岩山の山腹に幅33.5メートル、奥行38.7メートル、高さ40メートルという広大な空間を切り開き、その三方の壁に、高さ17.14メートルの盧舎那仏を中心として、迦葉・阿難の二大弟子、二菩薩、二天王、二力士の合わせて9尊の大像を彫り出している。 中尊台座に刻まれた開元10年(722年)の銘を有する『大盧舎那像龕記』によれば、高宗(在位649〜683年)の勅願に始まり、則天武后が化粧料二万貫を援助して、咸亨3年(672年)4月から上元2年(675年)12月までの、3年9ヶ月を費やして造立された。 |
中尊の盧舎那仏の顔は、一説には則天武后の顔をうつしたものであるという。
また、唐に渡った弘法大師空海が、盧舎那仏坐像を目にして驚嘆、感激したとも伝えられる。空海が真言密教を伝来せんと誓を立てた奈良東大寺の盧舍那仏は、この像を意識していると言われる。 盧舍那仏像の腰から下は風化によって崩れているものの、胸部から腹部にかけて量感が感じられ、均整の取れた体躯は実に芸術的である。大衣を通肩(左右両肩を衣で覆うこと)としているが、この様式は龍門の坐像としては珍しい例である。 |
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奉先寺盧舍那仏坐像 |
中尊のすぐ両側に位置する二大弟子像のうち、向って右側に侍る迦葉(画像中央二体のうちの左側)の崩れが著しい。 | ||
中尊の向かって右側に侍る 迦葉尊者と菩薩の立像 |
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他方、向かって左側の阿難(10.65メートル)は穏やかな表情を残す秀作である。 二大弟子の外側、両脇侍の菩薩像の尊像名は特定できないが、やはり13.25メートルという大彫刻である。 下半身にいくほど細くなり、バランスを失してはいるが、腰を左右に振る動きを見せている点や、薄手の衣を通して脚部の輪郭を露している点など、長安文化の影響をうかがわせる。 さらに、宝冠、胸飾り、瓔珞などの精緻な彫刻にも、見るべきものがある。 |
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中尊の向かって左側に侍る 阿難尊者と菩薩の立像 |
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天王・力士の諸像は像高10メートル前後、躍動感溢れる姿を見せている。 向って右側、北壁の天王像は、右手に宝塔を捧げ、右脚を少し曲げて邪鬼を踏みつけ、憤怒の表情で前方を睨む。 また、力士像は身体を大きく「く」の字に曲げて腰を突き出し、筋肉を誇示するかのようである。 | ||
中尊の向かって右側(北壁)の 天王と金剛力士像 |
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南壁の天王・力士像は、惜しくも、かなり崩落してしまっている。 | ||
中尊に向かって左側(南壁)の 天王と金剛力士像 |
奉先寺洞全景 |
奉先寺窟の南側 |
奉先寺窟の東側 |