華厳祖庭


敦煌 莫高窟



訪問年月日:西暦2002年11月01-08日
訪問年月日:西暦2004年8月19日
訪問年月日:西暦2005年2月17-22日
訪問年月日:西暦2006年7月28-30日


 修士課程1年生の夏(1992年)以来、10年ぶりの訪問。今回は国際禅学研究所所長・沖本克己教授に隨侍し、二人で莫高窟を訪れた。
 敦煌研究院の樊錦詩院長、彭金章教授、そして案内を務めてくださった范泉氏には、とても親切にして戴き、心より感謝申し上げる。
 今回は、莫高窟蔵経洞、および北区を見学・調査するのが目的。莫高窟北区には僧人や俗人の居住窟や、僧人が修禅を行ったという禅窟などが有る。出土文物はほとんど研究所に移動して保管されているが、人骨などはそのままにしてある。出土情況をそのまま保存するためである。北区を発掘調査された彭金章教授から直々に御説明を戴き、収穫は非常に大なるものあり。なお、北区は非公開地区であるが、将来的には一部公開される予定とのこと。
 莫高窟の壁画は芸術性にも優れ、多くの経変が有ることもよく知られているが、この中には華厳思想を反映したものも少なくない。敦煌の壁画や其の他の文物と華厳思想との関係は、従来ほとんど論じられることは無かったが、中唐以降の窟には華厳思想に関わるものが少なくはない。今後の研究課題としていきたいと思う。なお、北区からは刊本の『華厳経』残片が発見されているが[註1]、これは金蔵であるらしい[註2]。また、西夏時代では蔵伝密教と華厳思想が共存していることが史金波氏などによって述べられているが、その実体はまだまだ未解明のままである。

 敦煌調査の日程等は、『禅文化』に掲載された沖本克己教授副学長の報告を参照されたい。研究報告は今後公開していく予定である。

[註1] 莫高窟北区の発掘報告は、彭金章『敦煌莫高窟北区石窟』(第一巻)に詳しい(第二巻は今後発刊予定)

[註2] 李際寧「敦煌莫高窟B53窟出土漢文『華厳経』版本考」『中日敦煌佛教学術会議論文集』2002.03,参照。


  莫高窟の写真はどこででも閲られるので、ここでは敢えて載せることもなかろう。北区の写真は、公開許可が出ていないので、これも差し控える。上記の彭金章教授の報告を読めば充分と思う。ここでは、彭金章教授より御説明を戴きつつ調査をしている様子のみをUPする。もし、問題が有れば、お知らせください。直ちに対応させていただきます。

※その後、中国の報道や日本のNHKの取材班が北区を撮影し公開したことにより、写真の公開許可が出たので掲載する。ただし、石窟内部の映像は公開できない。

 
敦煌莫高窟北区(手前の駐車場から2004年月18日撮影)

莫高窟北区(2002年11月18日撮影)


敦煌莫高窟北区(2002年11月18日撮影)


「僧房窟」
窟の上方には棟木を挿し込む穴ばかりでなく、部分的に材木も残っており、旧時は木造の建築が窟の前に張り出していたことが、はっきりとわかる。(2002年11月18日撮影)


西蔵文字
(2002年11月18日撮影)

彭金章教授(奥)の御説明を聴く
2002年11月18日撮影
(撮影者:吉田)
北区の最南端には、井上靖原作・映画『敦煌』の撮影の為に造ったセットが残っている。
(2005年2月18日撮影)


北区の北側
(2005年2月18日撮影)

左から沖本克己教授・彭金章教授・吉田叡禮(剛)
(2002年11月18日撮影)

范泉研究員・沖本克己教授・吉田叡禮(剛)
(2002年11月18日撮影)






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